10年前から打った布石=大型ミドル3人が主軸に―バレーボール男子〔五輪〕
低迷期を乗り越え、世界ランキング2位に上り詰めてパリ五輪を迎えたバレーボール男子の日本。金メダルを狙えるほどの強豪に成長するまでの布石は、10年前から打たれていた。
日本女子が銅メダルを獲得した2012年ロンドン五輪で、男子は出場権を逃した。その翌年、東京五輪の開催が決定。14年から監督を務めた南部正司氏(56)は16年リオデジャネイロ五輪だけでなく、自国開催の大舞台も見据え、いずれも当時大学生だった石川祐希(ペルージャ)、山内晶大(大阪ブルテオン)、高橋健太郎(東レ)らを初選出した。
次世代のエース育成と同時に南部氏が意識したのが「ミドルの大型化」。山内、高橋健に加え15年には小野寺太志(サントリー)も選ばれ、後にパリ五輪代表となる身長2メートル超のミドルブロッカー3人がそろった。
3人ともバレーボールを本格的に始めたのは高校からで、粗削りながらそれぞれに強みがあった。山内は中学までのバスケットボール経験で培った俊敏な動きを見込まれたものの「ついていくので精いっぱいだった」。それでも南部氏は根気強く起用し続け、小野寺は「良くも悪くも試合で使ってくれたのは大きい。世界の選手のレベルを肌で感じながらプレーできた」と成長過程を振り返る。
「自分が監督の時の方針は外国に慣れること。強い相手に対し、こうしたら十分戦えるという意識付けをしていた」。現在は日本協会の男子強化委員長を務める南部氏は語る。16年のリオ五輪世界最終予選では、今や不動の司令塔となった関田誠大(ジェイテクト)を抜てき。五輪出場権は得られなかったが、先につながる経験を積ませた。17年に中垣内祐一氏(56)が監督、現監督のフィリップ・ブラン氏(64)がコーチの新体制になり、関田とミドル陣のコンビは日本の攻撃に欠かせないものになった。
高橋健は日本が8強入りを果たした東京五輪でメンバー入りを逃したが、ミドル3人の関係性は変わらない。「競争するのではなく、いろんなことを教えながらやってきた3人。成長してチームから必要とされる存在になれたことがうれしい」
晴れてパリ五輪代表に選ばれ、小野寺はこう誓った。「日本のミドルは世界レベルにあることを結果で示したい」。まさかの黒星スタートから巻き返し、52年ぶりの金メダルを獲得すれば、それが何よりの証明になる。 (時事)
[時事通信社]
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