プロ野球は熱狂の渦=阪神激闘の歴史、感動も怒号も―ドラマ生む伝統の一戦・甲子園球場100年(3)
【1936年9月25日・タイガース―巨人】日本職業野球連盟が創立され、プロ野球はリーグ戦元年。巨人の沢村栄治が史上初の無安打無得点試合(ノーヒットノーラン)を達成した。剛速球を武器に、長距離砲の景浦将を擁するタイガースに4四球を与えながらも快投。味方が挙げた1点を守り抜いた。2024年5月には巨人の現エース戸郷翔征も甲子園で同じ快挙を遂げた。
【1949年4月24日・阪神―巨人】伝統の一戦、このシーズンの1回戦。当時8万人が収容可能だった球場に、満員の観客が詰めかけた。しかし試合は序盤から巨人優勢で、青田昇が本塁打を放つなどして大量リード。激高したファンがグラウンドになだれ込み、試合が一時中断した。結果は11―1で巨人の快勝。同日のダブルヘッダー第2試合では阪神が勝った。
【1968年9月17日・阪神―巨人】阪神の2年目、江夏豊はプロ野球新記録となるシーズン354個目の三振を巨人の王貞治から奪うと宣言。四回に王を仕留めて稲尾和久(西鉄)の353奪三振に並ぶと、その後の打者は打たせて取り、七回に再び迎えた王を空振り三振に。江夏は延長十二回にサヨナラ安打も放って完封。この年の奪三振は401まで増えた。
【1968年9月18日・阪神―巨人】ダブルヘッダー第2試合。阪神のジーン・バッキーが王貞治の頭部付近へ投げた球が発端となり、大乱闘が起こった。バッキーは巨人の荒川博コーチを殴り、右手親指を骨折。試合再開後には権藤正利の投球が王の頭部に当たり、再びもみ合いに。その直後に長嶋茂雄が3ランを放つなど、巨人が計10得点で大勝した。
【1973年8月30日・阪神―中日】江夏豊が投打で大活躍を見せた。中日先発の松本幸行と投げ合い、両軍とも無得点のまま延長戦へ。沈黙が続いた阪神打線だが、延長十一回に江夏が松本からサヨナラのソロ本塁打を放って決着。142球を投じた江夏はプロ野球初の延長戦でのノーヒットノーランを達成した。
【1973年10月22日・阪神―巨人】史上初めて、最終戦の直接対決で優勝が決まった。0.5ゲーム差で首位阪神を追う巨人は、先発の高橋一三が完封。打線もつながり9―0の大勝でリーグ9連覇を果たした。試合後、興奮した阪神ファンがグラウンドに乱入。王貞治が襲われるなど大混乱に陥ったため、選手らはベンチ裏に避難。胴上げは行われなかった。
【1985年4月17日・阪神―巨人】阪神が1―3の七回、中軸のランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布が3者連続で槙原寛己からバックスクリーンへ本塁打を放ち、逆転勝ちした。吉田義男監督率いるチームはこの年、バースが三冠王に輝くなど打線が猛威を振るい、21年ぶり3度目のリーグ優勝。2リーグ分立後初めての日本一にも輝いた。
【1992年9月11日・阪神―ヤクルト】プロ野球史上最長の試合時間となる6時間26分を記録した。3―3で迎えた九回裏、2死一塁で阪神の八木裕が放った打球の本塁打判定に対し、ヤクルトの野村克也監督が抗議。エンタイトル二塁打に覆ると、今度は阪神の中村勝広監督が不服を訴えた。本塁打とは認められず試合再開。延長十五回の末に引き分けた。
【1999年6月12日・阪神―巨人】延長十二回1死一、三塁の好機。阪神の新庄剛志が型破りな打撃を披露した。巨人ベンチはこの試合で9号ソロを含む3安打を放っていた新庄との勝負を避け、敬遠四球を選択。しかし、新庄は槙原寛己が外角へ投じた2球目に大きく踏み込んでスイング。打球は三遊間を破ってサヨナラの左前適時打となった。
【2003年9月15日・阪神―広島】星野仙一監督率いる阪神が、長い低迷期を乗り越え18年ぶりのリーグ優勝を決めた。マジック対象の広島との直接対決は、赤星憲広の右越え適時打でサヨナラ勝ち。さらに、優勝の可能性を残していたヤクルトの試合結果を甲子園で待つこと約2時間。ヤクルトが敗れると、5万3000人の観衆が一斉に歓喜に沸いた。
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