旧防災庁舎、町の震災遺構に=解体撤回し保存「自分が判断」―宮城・南三陸町長インタビュー
東日本大震災で被災した宮城県南三陸町の旧防災対策庁舎の管理権が7月1日、県から町に戻され、庁舎は町の震災遺構として保存される。これを前に、自身も庁舎で被災した佐藤仁町長(72)が時事通信のインタビューに応じた。「生き残った後ろめたさがずっとあったからこそ、自分が判断しなければ」。庁舎保存の決断の裏にあった葛藤を語った。
震災当時、3階建ての庁舎は屋上を超える高さの津波にのまれ、住民の避難を呼び掛けていた職員ら43人が犠牲となった。庁舎にいて助かったのは自身を含めわずか10人。災害対策本部が入っていた建物は、赤茶けた鉄骨だけが残った。
庁舎を巡り、佐藤氏は2013年9月に一度は解体を表明。町の復興事業の妨げになることや、「見るのがつらい」という遺族の訴えも尊重した。ただ、県の有識者会議では14年12月、震災を象徴する遺構として保存する価値があると評価され、町は再考を迫られた。
保存か解体か―。当初は町民を体育館に集めて意見をまとめることも考えたが、「そこで集約された意見が果たして町民の総意と言えるのか」「来なかった人の意見が埋没してしまわないか」と悩んだ。
そこで、町民を対象にパブリックコメント(意見公募)を実施することに。回答者の約6割が保存の「賛成」に回ったことで、「町民の一定の意思表示」が見えた。15年6月、時間をかけて保存の是非を判断するため、震災の20年後まで庁舎を県有化するという県の提案を受け入れた。
県有化という「猶予期間」の中、佐藤氏は町内の「変化」に気付いた。その一つが、庁舎解体を求めていた町民が庁舎周辺の公園の環境整備を始めたこと。「(保存の是非について)心境が変わってきたのではないか」と感じた。
佐藤氏は、5期目の任期満了となる25年11月を待つことなく、今年3月、庁舎を再び町有化し、保存する方針を表明した。「あの場で生き残った一人として、任期中に決断しなければとの思いがあった」と振り返る。
方針発表の半月ほど前、庁舎で亡くなった職員の遺族に対し、事前に自身の決断を伝えていた。「お前のおやじはなあ」。職員の子どもたちに生前の様子を話そうとすると、そのうちの一人が泣きだした。
「お父さんの名前を覚えていてくれてありがとう」と絞り出す言葉が今も忘れられない。残された遺族も自身を含めた生存者も、みんながそれぞれの思いを抱えた13年だった。
[時事通信社]
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