平成の大横綱、心に残る涙=1日100番の猛稽古―大相撲・花田光司さんインタビュー(中)

父であり師匠でもある元大関貴ノ花の花田満さんの厳しい視線を常に感じる稽古場だった。1988年3月の春場所で初土俵を踏んだ元横綱貴乃花の光司さんは、その頃をはっきりと覚えている。
「朝からずっと待ったなしでやっていると、すぐ100番いっちゃう」。技術的な指導を満さんは好まず、精神面の重要性は機を見て説く。「すごく効く。言われる方からしたら」と光司さん。後に22度の優勝を遂げる「平成の大横綱」の土台は猛稽古で築かれた。
17歳で新十両、新入幕。19歳で幕内初優勝を果たすなど、最年少記録を次々と更新していく中、場所中も30番は稽古した。「クタクタになって本場所に行くと、肩に余分な力が入らない。だから、体の中身、骨格の力を使えるので、成績が伸びることをおやじは分かっていたと思う」と言う。
本場所中、部屋に戻ってあいさつに行くと、満さんから相撲内容に関する檄(げき)が飛ぶ。「幕内の兄弟子でも、ボコボコという音が聞こえてくる」そうだ。「こんな恐ろしいおやじがいるのに、変な相撲は取れない」と心に誓った。
忘れられない場面がある。94年9月の秋場所、6度目の優勝を初の全勝で飾り、昇進を諮問されたが、横綱審議委員会は11勝だった7月の名古屋場所の成績を問題として「見送り」に。その夜、「悔しい」と涙を浮かべた満さんに、光司さんは「私が勝てばいいだけの話ですから」と言い切った。その言葉通り、翌場所も全勝優勝を果たし、文句なしに昇進を決めた。
番付の頂点は極められなかった父からは「お前、男になったなと」と一言。「今までの人生で(父に)褒められたのはこれだけ」と懐かしむ。貴乃花の最後の優勝は、右膝の大けがを押して出場した2001年5月の夏場所。父から受け継いだ強い意志を貫き、現役時代は「怖いもの知らずだったのは一瞬だけ」と振り返る濃密な日々だった。
[時事通信社]


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