2025-06-16 16:17スポーツ

親子の縁切り、職人に=忘れぬ「笑っては駄目」―大相撲・花田光司さんインタビュー(上)

インタビューに答える元横綱貴乃花の花田光司さん=5日、横浜市
インタビューに答える元横綱貴乃花の花田光司さん=5日、横浜市

 「角界のプリンス」と評され、絶大な人気を誇った元大関貴ノ花の花田満さんが2005年5月に55歳で亡くなって20年がたった。次男で弟子でもある元横綱貴乃花の光司さん(52)がこのほどインタビューに応じ、その教えや思い出を語った。
 ◇「角界にスターはいらない」
 光司さんは「おやじは厳しかったが、私に対しては愛情が深かった」と振り返る。しつけに心を砕き、武士道精神を説いた父。「私を力士ではなく、一般人として生計を立てられるようにするのに必死だった」と言う。
 1982年、光司さんは「わんぱく相撲」で小学4年の横綱に輝く。レクリエーション気分で「すぐ負けた」という前回大会を見守った父の「勝つ負けるはどうでもいいが、笑ってやっては駄目だ」との言葉が胸にあった。勝負師としての心構えを教わった。
 東京・明大中野中に入学して相撲部に。監督だった武井美男さん(故人)から教員になって相撲の指導者になることを期待されていたが、同部で結果を残せず、「このままでは学校にも先生にも顔向けできない」。危機感から角界入りを決めた。
 父が師匠を務める藤島部屋に15歳で入門。「甘やかすことはできない。親子の縁は切るぞ」と言われた。満さんも、横綱初代若乃花で「土俵の鬼」と呼ばれた兄の勝治さんが師匠の二子山部屋に入る際、兄弟の縁を切ったという。光司さんは「習わし通り。そんなことよりも、入門できるのであれば」と決意は固かった。
 入門時には大勢の報道陣、テレビカメラが待ち構える中、藤島部屋の階上にあった自宅から衣装ケースを手に師匠らにあいさつに出向き、大きな注目を集めた。それでも浮足立つことはない。満さんからは「角界にスターはいらない。いるのは職人だ」と常々言われていた。後の「横綱貴乃花」の原点でもある。 
[時事通信社]

新弟子検査で貴花田(左、後の横綱貴乃花)の体重を見る兄の若花田(後の横綱3代目若乃花)=1988年3月、大阪市
新弟子検査で貴花田(左、後の横綱貴乃花)の体重を見る兄の若花田(後の横綱3代目若乃花)=1988年3月、大阪市

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