2025-06-16 17:58スポーツ

広めた「ファイナリスト」の価値=91年世界陸上、400で7位入賞の高野進さん―夢かなえた独自の戦略

写真撮影に応じる高野進さん=5月29日、東京都世田谷区
写真撮影に応じる高野進さん=5月29日、東京都世田谷区

 1991年に東京・国立競技場で行われた陸上の世界選手権で、男子400メートルの高野進さん(64)は偉大な足跡を残した。五輪、世界選手権を通じて、短距離の日本勢で59年ぶりに決勝に進み、7位入賞。世界一を決める舞台に立つ「ファイナリスト」の価値を、日本中に広める契機となった。
 27歳で臨んだ88年ソウル五輪。決勝進出こそ逃したが、準決勝では日本人で初めて45秒の壁を破る44秒90をマークした。40年近く前の44秒台は、100メートルで例えるなら9秒台を出すような難しさだった。「記録的に世界ランカーに仲間入りしたが、(決勝進出の)壁は厚かった。『うれし悔し』という気持ちだった」と振り返る。
 当時、27歳と言えば既に現役を退く選手が多かった年齢。そろそろ「引き際」かと考えたが、決勝の舞台に立てなかったのが心残りだった。気持ちが揺れる中、84年ロサンゼルス五輪柔道金メダリストで、東海大の先輩に当たる山下泰裕氏の言葉に背中を押された。「今しかできないことを優先した方がいい」。大学教員として働きながら、再び世界に挑むと決意した。
 ◇スピード強化が奏功
 独自の「複数年計画」を立て、400メートルから一度離れることを決断。89年は100メートル、90年は200メートルに取り組み、スピードを磨いた。そして91年、「本職」に復帰。同年の日本選手権で、その後32年間破られなかった44秒78の日本新記録を樹立した。
 30歳で迎えた自国の大舞台。大会が進むにつれて国内の熱気が高まり、街中でも声を掛けられるようになった。2次予選を44秒91で通過。準決勝で有利なレーンを獲得し、2組3着で念願のファイナリストとなった。「夢がかない、ふわふわした気持ちだった」。決勝前の招集所。選手は無言で、独特の緊張感に包まれていた。疲弊した体で果敢に攻め、7位でフィニッシュした。
 「東京世界陸上から世界がガラッと変わった。なせば成る。人生の礎になった」。92年バルセロナ五輪でも決勝に進出し、8位入賞。日本人が短距離種目でも世界と戦えると強く印象付けた。
 9月、世界選手権が34年ぶりに東京で開催される。「日本はあらゆる種目で世界に近づいてきている。陸上をする人が増え、選手もプロのように競技できる環境が広がる機会になれば」。日本勢の活躍とともに、次世代へつながる大会になることを願っている。 
[時事通信社]

インタビューに答える高野進さん=5月29日、東京都世田谷区
インタビューに答える高野進さん=5月29日、東京都世田谷区
1991年世界選手権東京大会、男子400メートル決勝で力走する高野進選手(中央)=同年8月、東京・国立競技場
1991年世界選手権東京大会、男子400メートル決勝で力走する高野進選手(中央)=同年8月、東京・国立競技場
インタビューに答える高野進さん=5月29日、東京都世田谷区
インタビューに答える高野進さん=5月29日、東京都世田谷区

最新動画

最新ニュース

写真特集