2023-06-05 18:21

吉野ケ里遺跡の石棺調査=弥生時代後期、有力者の墓か―佐賀

 弥生時代の大規模環濠(かんごう)集落跡で知られる吉野ケ里遺跡(佐賀県吉野ケ里町、神埼市)で見つかった弥生時代後期とみられる石棺墓について、県は5日、石のふたを取って調査を始めた。内部は隙間から流入した土で埋まっていたが、赤い塗料を塗ったような跡などが新たに確認された。
 石棺墓は全長約2.3メートルで、石のふたが4枚並んでいる。見晴らしの良い丘の上にあることや、2枚のふたの表面に「×」などの線状の模様が多数刻まれていることなどから、県は有力者の墓の可能性が高いとみている。線には死者のよみがえりを封じたり、冥福を祈ったりする意味が込められているとされる。
 5日は関係者や報道陣が見守る中、3枚のふたが重機で慎重に持ち上げられ、表面に線状の模様がなかった1枚のふたの裏側に線が刻まれていたことが判明。内側に赤い塗料を塗ったような形跡があることなども新たに分かった。県の担当者は「内側を赤く塗られている墓は有力者のものに多い」と話した。県は今後1週間ほどかけて詳しい調査を行う。
 一帯はこれまで神社があったため発掘調査がされず、「謎のエリア」と呼ばれていた。神社が昨年移転したことで調査可能になり、今年4月に石棺墓が出土。盗掘された形跡はなく、副葬品の発見に期待が高まっている。
 吉野ケ里遺跡では弥生時代中期の有力者の墓は発見されているが、最盛期である後期のものは見つかっていない。石棺墓が作られたのは2~3世紀ごろとみられ、邪馬台国のあった時代と重なる。
 邪馬台国の所在地を巡っては、九州説と畿内説の論争が長年続いている。県の担当者は、今回の調査結果がすぐに学説に影響を与えるものではないとしながらも、「明らかにされていない当時の社会構造などの解明につなげられたら」と期待を寄せている。 
[時事通信社]

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