ダビンチの母、カフカス地方出身の奴隷 伊研究
【フィレンツェ(イタリア)AFP=時事】ルネサンス美術の象徴、レオナルド・ダビンチが、カフカス地方から連れてこられた奴隷女性とイタリア人男性との子どもだったとの新説が14日、発表された。≪写真はレオナルド・ダ・ヴィンチの手稿。資料画像≫
ダビンチは1452年、伊フィレンツェ郊外の田舎で生まれ、国内各地で暮らした。1519年にフランス国王フランソワ1世の招待でアンボワーズ滞在中に死去した。
母親は長年、伊トスカーナ地方の小作農だったと考えられてきた。しかし、ナポリ東洋大学のカルロ・ベッチェ教授は、実際はもっと複雑だったと指摘する。
ベッチェ氏は自らの研究を元に執筆した小説の発売に合わせた記者会見で、「母親はカフカス山脈から連れてこられたチェルケス人奴隷だった」「コンスタンチノープル(現イスタンブール)やベネチアで何度か売られた後、フィレンツェに来た」と述べた。
母親はフィレンツェで公証人として働くピエロ・ダビンチと出会い、「レオナルドという名の息子」をもうけたという。
長年ダビンチを研究し、展覧会でのキュレーションも担当してきたベッチェ氏は、フィレンツェ市の公文書館に保管されている文書を調べ、今回の発見に至った。
同氏が見つけた文書には、ダビンチの父親が書いたものが含まれている。その中で父親は、ダビンチの母カテリナの自由と人間の尊厳を回復するため、奴隷の身分からの解放を法的に求めていた。
1452年付のこの文書は、14日にフィレンツェの出版社ジュント本社で行われた記者会見でも公開された。
ベッチェ氏は会見で、「まだ奴隷だったカテリナを愛し、子どもをレオナルドと名付け、解放を支援した男性」によって書かれたものだと強調した。
これらの発見を下敷きに小説「The Smile of Caterina, the mother of Leonardo(レオナルドの母カテリナのほほえみ)」が執筆された。
これまでダビンチは、ピエロとトスカーナの小作農カテリナ・ディメオリッピとの婚外子だったとされていた。今回の研究はダビンチの来歴を大きく変える可能性がある。【翻訳編集AFPBBNews】
最新動画
最新ニュース
-
東京V、土壇場でドロー=前後半で真逆の姿―Jリーグ
-
プロ野球・ひとこと
-
新庄監督「でかい1勝」=プロ野球・日本ハム
-
阪神、零敗スタート=プロ野球
-
阿部巨人、新旧融合の好発進=戸郷に西舘、ベテラン梶谷も―プロ野球
写真特集
-
【大相撲】大関・琴ノ若
-
【女子フィギュア】千葉百音
-
【野球】野球殿堂に入った名選手
-
【駅伝】第100回箱根駅伝
-
【女子フィギュア】吉田陽菜
-
【男子フィギュア】山本草太
-
【野球】日本シリーズ関西対決 阪神が38年ぶり日本一
-
【MLB】ドジャースの歴代日本選手