2022-10-07 07:12

松中さん「環境やタイミング必要」=同郷後輩の偉業喜ぶ―ヤクルト村上の衝撃(1)

 プロ野球ヤクルトの村上宗隆内野手が、史上最年少の22歳で三冠王に輝いた。球界を背負う大打者に急成長できた要因は何か。さまざまな角度から分析する。
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 松中信彦さんは平成でただ一人の三冠王だ。2004年にダイエー(現ソフトバンク)の4番打者として打率3割5分8厘、44本塁打、120打点をマークした。村上の偉業達成に、「自分のことのようにうれしい。熊本の後輩で、同じ左の長距離打者。彼に取ってほしいと思っていた」と語る。
 自身に続く達成者が現れるまでに18年かかった。「三冠王を取るには、環境やタイミングも必要」。04年のダイエー打線は、井口資仁、城島健司ら松中さんの前後にもリーグ上位の打撃成績を収める強打者がそろっていた。山田やサンタナらを擁する今季のヤクルト打線を見て、開幕前から「今年はチャンスがある」と周囲に話していたそうだ。
 打者のタイプとしては自分とは似ていないと分析する。村上の特長の一つが中堅から左方向への大きな飛球。「『弓を引いた状態』で構えるので、いろいろなボールに対応できる。足は上げるけど、体重をぶつけるのではなくその場で回転する」。最初から右肩を入れて体をねじった状態で構えるから体勢が崩れてもボールに力を伝えられ、ミスショットが少ないと言い、「体の強さとパワーがあるからこそできる打撃」と絶賛する。
 当時577打席で67三振だった松中さんに比べると村上は三振が多いが、「彼はあまり三振の数は気にしていないのではないか。ボールの見極めはよくできている」。
 22歳にしてこれだけの成績を残したことに驚き、「若いうちから4番を打てる環境というのもあるし、ヤクルトの育成も含めて良かったのではないか」と推察した。
 松中さんは05年も本塁打と打点でトップだったが、打率が7厘差の3位で2年連続の三冠王はならなかった。後輩にはその偉業も期待しつつ、その難しさを知るだけに「こればかりは分からない」と笑った。
 ◇松中信彦さんの略歴
 熊本・八代一高(現秀岳館高)から新日鉄君津を経て、97年に逆指名制度によるドラフト2位でダイエーに入団。99年からレギュラーに定着し、同年と03年は日本一に大きく貢献。04年に三冠王、05年は本塁打と打点の2冠。00、04年はパ・リーグ最優秀選手。日本代表として、96年アトランタ五輪で銀メダル、06年ワールド・ベースボール・クラシックで優勝。左投げ左打ち。48歳。熊本県出身。 
[時事通信社]

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