2022-10-01 12:13スポーツ

底知れぬ闘志と行動力=道開いたアリ戦―猪木さん死去

 一度見たら忘れられない顔と圧倒的な存在感。ファンは憧れ、若者たちは闘志をもらった気持ちになる―。1日死去したアントニオ猪木さんは、キャッチフレーズの「燃える闘魂」そのままに、バイタリティーの塊だった。
 原点は、ブラジルでの生活にあった。中学時代に家族で移住。朝から晩まで過酷な農作業を強いられ、唯一の楽しみが砲丸投げ。重労働と練習にのめり込み、心身が鍛え上げられていった。
 力道山の目に留まって1960年に入門。厳しい下積みを経験しながら、プロ野球巨人の投手から転身したジャイアント馬場の背中を追い、やがて両雄として昭和のプロレスブームをつくった。
 空手チョップで外国人選手をなぎ倒した力道山譲りの闘志に加え、「コブラツイスト」「延髄斬り」や自ら編み出したとされる「卍(まんじ)固め」など、ダイナミックな技を駆使。タイガー・ジェット・シンら敵の持ち味も引き出すなど、対戦相手の人気、実力を引き上げる手腕にたけていた。
 76年、ボクシングの世界ヘビー級王者、モハメド・アリとの異種格闘技戦を敢行する。「相手がどんな方法できても立ち向かう」と宣言。アリ陣営の要求で、立った状態からの蹴りや投げなどのプロレス技を禁じられ、15ラウンドの大半を寝ながら戦わざるを得なかった。結果は、見せ場がないまま引き分け。「大凡戦」と酷評された。しかし、この真剣勝負が、のちに人気を集める総合格闘技の道を開いた。
 有力な外国人選手を呼べないなど、団体経営に苦労した時期もあったが、「道はどんなに険しくとも、笑いながら歩こうぜ」がモットーの一つ。アリとの試合をはじめ、周囲が失敗を恐れるときほど、体ごと挑戦した。詩作も趣味で、2000年に出版した詩集は「馬鹿(ばか)になれ」。晩年まで若者たちを引き付けたのは、前向きで底知れぬ行動力だった。
[時事通信社]

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