2022-06-23 15:14World eye

「ジギー・スターダスト」誕生50年 デヴィッド・ボウイの象徴的分身

【パリAFP=時事】2016年に亡くなった英歌手デヴィッド・ボウイのステージ上のペルソナの一人、「ジギー・スターダスト」が地球に落ちて来てから50年がたった。ジギーというオルター・エゴ(分身)によってボウイはスターダムを駆け上がり、性的マイノリティーに対する考え方にも革命を起こした。≪写真は1972年の音楽番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」に出演した際の衣装。英ロンドンのビクトリア&アルバート博物館で≫
 1972年6月16日にリリースされたアルバム「ジギー・スターダスト」で、ボウイはそれまでに吸収してきたさまざまな要素を一つにまとめ上げた。
 ダーティーなロック音楽は、米ニューヨークで出会ったミュージシャンのイギー・ポップやルー・リードの影響だった。出身地ロンドンで学んだパントマイムや演劇の要素も取り込んだ。ファッションのヒントになったのは、映画『時計じかけのオレンジ』の衣装だ。そして、ワイルドで両性具有的なスタイルは、妻と足しげく訪れていたアンダーグラウンドのゲイクラブで身に付けたものだった。
 こうして誕生したのがジギー・スターダストだった。宇宙から来たパンセクシュアルなロックスターのジギーは、長髪のヒッピー文化があまりにも長く続いた後に過激でショッキングな表現を求めるポップカルチャー界の渇望を満たす存在となった。
 ボウイは後に、「60年代的なものをやるつもりは一切なかった」と振り返っている。「21世紀がこれから始まるんだという意気込みが私たちにはあった。昔のものは何もかも一掃したかった」
 ■衝撃を与えた発言
 このアルバムに決定的な影響を与えたのは、リリースの数か月前に英音楽誌「メロディー・メーカー」で行われたインタビューだ。
 「私はずっとゲイだ。(本名の)デヴィッド・ジョーンズの時からそうだった」。赤い髪の毛をツンツン立て、体にぴったりしたジャンプスーツに赤いブーツというきらびやかないでたちで登場したボウイは語った。
 当時としては衝撃的な告白だった。英国の有名人で同性愛者であることを公表したのはボウイが初めてで、英国内で同性愛行為が非犯罪化されるようになって5年もたっていなかった。
 この宣言によってボウイは、同性愛者の若者や社会から疎外された人々の心を何世代にもわたって支えるアイコン的な存在となる。
 ボウイの世界的な研究家のジェローム・ソリニー氏は、「時代を先取りした市場戦略だった」として、「(あの発言は)ボウイが生み出した中で最も美しいものだった」と語っている。
 ■ジギーの死
 ジギーへの変貌を遂げた当初のライブコンサートは客入りが少なく、時にはブーイングも起きていた。だが、同年7月に英BBCの伝説的な音楽番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」に出演し、その後の全米ツアーも大成功したことで状況は一変した。
 成功を押し上げたのは、巧みな演出や受け狙いという言葉では片付けられない洗練された魅力だった。それは、ボウイ以外のグラムロックの多くのアーティストたちには欠けているものだった。
 アルバム「ジギー・スターダスト」は、タイトル曲をはじめ、「スターマン」や「サフラジェット・シティ」などのヒット曲が満載で、正統派ロックの古典的名盤として輝きを放ち続けている。
 特に重要なのは、米誌ローリング・ストーンが当時指摘したように、ボウイは「自分の公的なイメージにおいて、自身の性的指向をありのまま切り離せない要素として捉え、売名に利用することを拒んだ」点だ。
 ボウイは、瞬く間に同世代を代表するアーティストの一人となった。
 だが、ボウイは1973年7月のロンドン公演で突然、ジギーの終わりを告げた。
 後に当時を振り返りながら、「あの頃は薬物の影響もあり、現実と自分が生み出したペルソナとの境目がどんどん分からなくなってきていた。(中略)そうなると、精神の崩壊が始まっていく」とボウイは語っている。
 ジギーは死んだ。だが、ボウイはジギーをひな型にいくつものキャラクターを生み出し、その後も大成功を収め続けた。【翻訳編集AFPBBNews】

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