2022-04-05 10:01World eye

希望の終焉、暗黒の時代再び ロシア人権活動家

【AFP=時事】ロシアのベテラン人権活動家オレク・オルロフ氏(68)は、祖国における暗黒の時代はとっくに過ぎ去ったと思っていた。だが、もはや違う。≪写真はロシア・モスクワでAFPのインタビューに応じる人権活動家のオレク・オルロフ氏≫
 「これほど暗い時代は、見たことがない」
 1980年代初頭に、ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻に反対するビラ配りをしたことから活動家の道に入った。「今起きていることは、ロシアはもちろん、恐らく世界のどこで起きたこととも比べものにならない」と語る。
 オルロフ氏や同世代の活動家にとって、ロシアのウクライナ侵攻は、80年代にソ連最後の最高指導者ミハイル・ゴルバチョフ氏が断行した改革によって始まった、希望に満ちた時代の決定的な終焉(しゅうえん)を意味している。
 約40年後の今、ロシア軍は再び外国で戦争をし、兵士は命を落としている。政府を批判すると刑務所に入れられ、独立系メディアは閉鎖され、何千ものロシア人が国外脱出を決めた。
 「私たちが抱いた希望は実現しなかった。ひどく失望している」。ソ連崩壊後のロシアを代表する人権活動家の一人、スベトラーナ・ガヌシュキナ氏(80)は言った。「わが国は、もはや権威主義とは呼べない。これはもう全体主義体制だ」
 オルロフ、ガヌシュキナ両氏は、今なおロシアで批判の声を上げている数少ない活動家だ。2人は先週、モスクワでAFPの取材に応じた。
 オルロフ氏は、昨年当局に解散を命じられたロシアで最も著名な人権団体「メモリアル」の事務所で、「国外に出るつもりはない」と述べた。書棚は空っぽで、机の上は片付けられ、床には段ボール箱が山積みになっていた。「私は、この国で生き、死にたいと常に思っている」

■玄関に「Z」マーク
 生物学を学んでいたオルロフ氏は80年代末、ソ連の人権抑圧を記録するため創設された「メモリアル」に参加。ソ連崩壊後のロシア各地の紛争、特に90年代の第1次・第2次チェチェン紛争での人権侵害を記録してきた。
 1995年にはチェチェン共和国の武装勢力との人質交換に立候補した。解放後、2000年代半ばにはロシア大統領府の人権評議会の委員を2年間務めたが、やがてウラジーミル・プーチン大統領を積極的に批判するようになった。
 オルロフ氏は3月6日、ウクライナでの「軍事作戦」に抗議して逮捕された。先週帰宅すると、玄関の扉にウクライナ侵攻を支持するシンボルマーク「Z」と「利敵協力者」の文字が書かれた張り紙があった。
 ロシアでは2月24日の侵攻開始以来、抗議デモに参加した数千人が逮捕されている。政府は、軍の信用を失墜させたり対ロ制裁を呼び掛けたりする情報の拡散を犯罪化した。厳しい政治情勢と経済制裁の影響で、政府に批判的なリベラル派の若者たちを中心に、ここ数週間で国外に出て行ったロシア人も多い。
 「こんなことは記憶にない」とオルロフ氏。「社会的・政治的状況が様変わりしつつある」

■去り行く若者
 元数学教授のガヌシュキナ氏は、1990年に「市民支援委員会」を設立し、91年のソ連崩壊に伴う紛争で家を追われた人を支援してきた。「若者は危険を感じ、無力感を覚えて去っていく。そして、私たちは狂気の中に取り残されている」と語る。
 ガヌシュキナ氏も「メモリアル」の活動に参加し、2012年に辞任するまでロシア大統領府人権評議会の委員を務めた。事務所の壁には今もプーチン氏の署名の入った感謝状が飾られている。
 現在も支援を求める人に直接会い、法律面の助言や仕事・住宅探しの手助け、社会から疎外されている人の人権擁護など、精力的に活動している。
 ロシアを離れることは考えていないが、子どもや孫が外国に住んでいることに安堵(あんど)している。「ここ(ロシア)にいなくてよかった。おかげで私は自分の考えを誰にでも、どこででも言える」
 ガヌシュキナ氏は、深く失望している。「私たちには、民主主義体制で統治される他の連邦国家のような普通の連邦を造る機会があったのに、それを逃してしまった」
 今できることは「時が過ぎ、再び機会が巡って来るのを願うことだ」と語った。「でも、私がそれを目撃することは恐らくないだろう」【翻訳編集AFPBBNews】

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