2021-09-17 14:45国際

北朝鮮開放の好機逃す=当時の韓国外務省幹部―国連同時加盟30年

 【ソウル時事】1991年9月に韓国と北朝鮮が別の国家として国連に同時加盟してから17日で30年。当時の韓国外務省幹部で後に統一省次官を務めた金錫友氏が取材に応じ、韓国外交の「重要な転換点」と振り返る一方、北朝鮮を改革・開放に促す最大のチャンスを逃したとも指摘した。
 韓国の全斗煥政権は88年ソウル五輪への共産圏参加をにらみ、中国とソ連が韓国を承認し、日米が北朝鮮を承認する「クロス承認」構想や南北国連同時加盟を推進。続く盧泰愚政権もこれを継承した。対する北朝鮮は「分断を恒久化させる」と反対し、単一国家として国連加盟すべきだと主張。金氏によると、北朝鮮は半年ごとに南北が交代で国連代表を務めるという提案もしたという。
 金氏は「当時、北朝鮮は武力統一方針を捨てていなかった。それに対し韓国は、経済成長し五輪も開催した韓国が国連に寄与するのは当然であり、同時加盟は南北関係を安定させ、統一に向けた環境整備になると考えた」と説明した。
 結局、90年9月に韓国と国交樹立したソ連は、国連同時加盟に同意。北朝鮮にとり拒否権行使の最後の頼みの綱だった中国もついに91年5月、訪朝した李鵬首相が「北朝鮮が同時加盟に反対するなら、中国は韓国の単独加盟を認めざるを得ない」と最後通告した。国連同時加盟は、ソウル五輪、韓ソ修好に続き、南北のどちらが優れているかという「体制競争」での韓国の優位を象徴する出来事だった。
 金氏は「ソ連の支援がなくなり、北朝鮮の最大の体制危機が90~91年だった。金日成(主席)は生きるか死ぬかの心境だっただろう」と指摘する。国連同時加盟には、83年のラングーン事件や87年の大韓航空機爆破事件とテロを繰り返し、冷戦体制崩壊で孤立した北朝鮮を国際社会の一員に導く意味合いもあった。金氏は「あの時が北朝鮮を改革・開放させるチャンスだった。追い詰めるべきだった」と悔やむ。
 しかし、韓国による吸収統一を恐れた北朝鮮は、その後韓国への融和政策を推進。91年12月に相互の体制尊重などをうたった「南北基本合意書」と、核兵器保有を禁じた「南北非核化共同宣言」を採択した。金日成主席は北朝鮮代表団を「君たちが祖国を救った」と称賛したとされる。
 危機を乗り越えた北朝鮮は体制を存続させ、核開発を加速。今や「核保有国」を自称し、国際社会の一員どころか、国連から繰り返し制裁を受ける存在になった。金氏は現在の北朝鮮の姿を「当時は思ってもみなかった。私も体制競争の勝負は決したと楽観的だった」と振り返った。 
[時事通信社]

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