2020-06-02 07:09スポーツ

上村、恩師にささぐ「聖域」の金=逆転の発想でひらめく―五輪・金メダル1号物語

 日本柔道界には、体重無差別こそ神髄だとの考えが根強い。柔道(男子のみ)が初めて実施された1964年東京五輪で、その「聖域」は守られなかった。神永昭夫がアントン・ヘーシンク(オランダ)に抑え込まれた一戦は、本家の屈辱として人々の記憶に刻まれた。
 この試合を13歳の上村春樹少年は、故郷熊本でテレビ観戦した。落胆はなく、「テレビの中は別世界だった」。自身が神永の無念を晴らして日本初の五輪無差別級金メダリストになるとは、夢にも思わなかった。
 後年、明大監督となった神永にスカウトされる。身長174センチ、体重は100キロに満たない。無差別級では小柄だったが、猛稽古に明け暮れて力をつけていった。
 卒業後は実業団の旭化成へ。「100メートル走の自己ベストは17秒7。小さい、スピードがない、力がない」と自己分析。だからこそ、頭を使った。
 会社の上司にもらった本を熟読した。糸川英夫著「逆転の発想」。ある日、更衣室に貼ってあった技の一覧表を何気なく見ていて発見した。「ほとんどが前後の技。横に崩す技が極端に少ない。これだ!」。以後、真横に崩して投げる稽古に取り組んだ。
 練習では上り坂ダッシュではなく、下り坂ダッシュをやってみた。「下りは重心移動をうまくしなければ転ぶ。受け(防御)に通じる。これだ!」。次々とひらめいた。
 76年モントリオール五輪。準決勝でショータ・チョチョシビリ(ソ連)に完勝し、決勝はキース・レムフリー(英国)に一本勝ちした。「相手に出させた技は全4試合で四つだけ。準決勝は一つ、決勝は二つ」と抜群の記憶力で解説する。
 神永は「よくやった」と一言だけ褒めたという。師弟のやりとりは、これで十分だった。 
[時事通信社]

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