2019-02-15 13:18World eye

ソ連軍撤退から30年、米軍撤退後にアフガニスタンを待つのは混乱の再来か

【パンジシールAFP=時事】10代の頃、ムジャヒディン(聖戦士)だったアブドル・カリムさんは、アフガニスタンの山中でカラシニコフ銃をつかみ、寒さに震えながら、旧ソ連軍といてつく冬とどちらが先に死をもたらすだろうと考えていた。これが、ソ連軍を見た最後だった。≪写真は資料写真≫
 「その時、トランシーバー越しに(ムジャヒディンの司令官だった)アフマド・シャー・マスードの声が聞こえてきた。ロシア人たちが撤退したから、山から下りてよいとのことだった」。ソ連の赤軍を撃退した伝説のパンジシール渓谷で、カリムさんはAFPに語った。
 それから数年後の1989年2月15日、ソ連軍はアフガニスタンから完全に撤退した。ソ連軍の死者は約1万5000人で、その多くは過酷なパンジシールの山中で命を落とした。
 だが、ソ連軍撤退後の平和は長くは続かなかったという。アフガニスタンは破滅的な内戦へと突入し、若き戦闘員だったカリムさんは再び前線へ戻った。
 ソ連軍撤退から30年後の今、もう一つの侵略国、米国が、長期にわたったアフガニスタン紛争から手を引こうとしている。ソ連軍撤退後、血なまぐさい抗争を経験したアフガニスタンの人々は、混乱が繰り返されるのではないかと不安に思っている。
■パンジシールの獅子
 「パンジシールの獅子」と呼ばれたマスード氏は、パンジシール渓谷でソ連軍の攻勢を9回退けたことで知られており、国民的英雄となっている。2001年9月11日の米同時多発テロの2日前に国際テロ組織アルカイダにより暗殺されたが、その命日は祝日とされ、毎年、追悼行事が行われている。
 首都カブールの北にあるパンジシール渓谷に向かう道の途中に巨大なマスード氏の肖像があり、その横にはさび付いたソ連軍の戦車やヘリコプター、重機関銃が放置されたままになっている。渓谷を見下ろすと、雪に半分埋もれたソ連製戦車が見える。脇にはスプレーで「アフガニスタンよ、永遠に。タリバンに死を」というスローガンが落書きされていた。
 もう一人の元ムジャヒディン、モハマド・ミルザさんは、「帝国の墓場だ」と話す。
 現在は警察署長を務める別の元ムジャヒディンの男性は、「やつらは、9回(この渓谷を手に入れようと)試みたが、9回とも失敗した」と誇らしげに語る。
 ワリ・モハマドさんは、14歳でムジャヒディンに加わった。マスード氏の命日は、「この国を侵略しようとする者は皆、同じ目に遭うということを思い起こさせる日だ」と言う。
 だが、ムジャヒディンの勝利はほろ苦かった。勝利は恒久的な平和をもたらすことはできず、平和がすり抜けていったアフガニスタンは、過酷な40年が続いた。
■不吉な予感
 荒々しいムジャヒディンの戦士と地形に守られたパンジシール州は、ソ連軍撤退後のアフガニスタンをむしばんだ暴力を免れ、ほぼ平和が保たれた。
 だがアフガニスタンは今、駐留米軍撤退の可能性が迫り、政府は内紛と不信感で分裂し、旧支配勢力タリバンが再び舞台の主役に立っており、人々は、歴史が繰り返されるのではないかと不安をかき立てられている。
 マスード氏の息子アフマド氏(29)は、メッセージアプリ「ワッツアップ」を通じてAFPの取材に答え、父親がかつてソ連軍撤退後のアフガニスタンの行方を懸念していたと語った。
 アフガニスタンは国が分裂しすぎており、政府には国をまとめる力がないため、マスード氏はソ連が早急に撤退してしまうことに「不安を覚えていた」という。「父は、ソ連軍撤退がアフガニスタンを大きな混乱に陥れると懸念していた。そして、全くその通りになった」
 ミルザさんは、道路脇のソ連製戦車の残骸の上に座り、勝利が暴力の遺産を残したことを苦々しく思い返していた。「あの日は、私たちに幸福と悲しみの両方を残した」と、穏やかに語る。「米軍が撤退を決めた今、私たちは同じことが起きるのではないかと恐れている」【翻訳編集AFPBBNews】

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